NHK大河ドラマ『青天を衝け』の名セリフ・名言集 <25話〜31話>

名言集
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大河ドラマ『青天を衝け』

主人公・渋沢栄一の名言はこちら▽

『青天を衝け』の名セリフ・名言集 <25話〜〜31話>

第25話 「篤太夫、帰国する」

明治元(1868)年11月、フランスより徳川昭武、渋沢栄一らを乗せた船は横浜に帰港。
横浜の宿で、幕府が薩長に敗れた経緯や、慶喜(草彅 剛)や幕臣の動向を聞かされる。
さらに川村恵十郎と虎之助より、平九郎(岡田健史)が命を落とした経緯、惇忠(田辺誠一)と成一郎(高良健吾)のその後を知らされる。
渋沢栄一は頭の中が整理できない中、一度、故郷の血洗島へ戻ることを決める。

渋沢、今一度頼む。
この先も水戸でわたしを支えてほしい


徳川昭武(板垣李光人)

それにもまずは、ご主君のご意志を伺わねばならぬと思っております。上様に民部公子さまご帰国のご報告をいたしたいと存じます。

篤太夫|渋沢栄一(吉沢亮)

小石川の水戸藩邸の徳川昭武を訪ねた折、昭武より、慶喜へ文を届け返事を必ず届けてほしいと頼まれる。

第26話 「篤太夫、再会する」

6年ぶりに故郷の血洗島に帰り、大きくなった娘の渋沢うた(山崎千聖)を抱きしめ、家族との再会を喜ぶ渋沢栄一。
一方、尾高長七郎(満島真之介)が亡くなったことを聞き、衝撃を受ける。

何もかも変わっちまったかと思ったが、ここは何も変わらねぇ


篤太夫|渋沢栄一(吉沢亮)

夢の中で栄一を諭し、背中を押す長七郎。

生き残った者には成すべきさだめがあると、お前が言ったんだ

夢の中での栄一の従兄 尾高長七郎(満島真之介)

さぁ、前を向け、栄一。
俺たちがかつて悲憤こう慨していたこの世は崩れたぞ。崩しっぱなしでどうする?この先こそが、おぬしの励みどきだろう


夢の中での栄一の従兄 尾高長七郎(満島真之介)

尾高家を訪ね、尾高おだか惇忠あつただ(田辺誠一)と再会。
惇忠は誰にも会わせる顔がないと逃げようとするが、栄一はこれまでの後悔を話し、”生きている限り前に進みたい”と涙する。

合わせる顔がねぇのは俺だ。
パリまで行ってようやく分かったんだ。銃や剣を手に戦をするんじゃねぇ。
畑を耕し、藍を売り、歌を詠み、皆で働いて励むことこそが俺の戦い方だったんだ。
ようやく気づいて、お千代にも平九郎にも、とっさまにもかっさまにも、本当に申し訳ねぇ


篤太夫|渋沢栄一(吉沢亮)

父・市郎右衛門にこの先の身の振り方を伝える栄一。

商売を始めるか、百姓をするか、前(さき)の上様にお会いした後に、一身の方針を定める所存です


篤太夫|渋沢栄一(吉沢亮)

それでこそ、俺の栄一だ。
お前がこの家を出ていくとき俺は、『あくまでも道理は踏み外さず、誠を貫いてくれ』と言ったが、お前はそれをきちんと守り通してくれた。
おかげで俺は、お前の父親だと胸を張っていられる


栄一の父・市郎右衛門(小林薫)

栄一は、昭武(板垣李光人)から預かった書状を届けるため、慶喜が謹慎している駿府に向かう。
慶喜(草彅 剛)との謁見が叶い、慶喜の質素な身なりに驚きながらも、栄一は昭武のフランスでの様子を、持ち前の軽妙な語り口で伝える。

渋沢よ。万里の異国にあって、公儀の瓦解(がかい)に遭い、さぞ苦しく骨を折ったことであろう。
この度、昭武がさわりなく帰国できたのも、ひとえにそなたのおかげだ。
礼を申す


徳川慶喜(草彅剛)

上様!いや…もう何も申し上げますまい。
しかし…どんなにご無念だったことでございましょう…


篤太夫|渋沢栄一(吉沢亮)

第27話 「篤太夫、駿府で励む」 

明治元(1868)年、慶喜の計らいで、駿府藩に残るよう命じられる。

渋沢。
そなたを駿府によこせとは先様のお取り計らいだ。
水戸は天狗党の一件が火種となり、武田耕雲斎の孫らが報復に明け暮れているという。
今そなたを水戸にやれば、きっと民部公子に重く用いられよう。さすれば必ずや妬まれ、平岡の二の舞になりかねぬ。
その情けがそなたには分からぬか

駿府藩中老 大久保一翁いちおう(木場勝己)

上様には敵いません。
それがしの思慮が足りずお恥ずかしい限り。
それではおぼし召し通りとどまります。
しかし、勘定組頭への仕官は辞退させていただきたい。

・・・

それがしは一時でも幕臣としていただいた百姓の矜持きょうじとして、ろくをいただくことなく、この地で百姓かあるいは商いをして、心穏やかに余生を過ごしたく存じます

篤太夫|渋沢栄一(吉沢亮)

70万石の静岡藩は、新政府が貸し付けた太政官札だじょうかんさつ 58万両を受領していた。
しかし、その借金は政費として使われるだけであって、駿府にお金が入る見込みは立っていない。
そこで栄一は藩財政を好転させるための施策を考える。
そして“合本”の商いを始めるための銀行と商社を兼ね備えた「商法会所」を設立し、静岡藩内で官民合同による殖産興業を進め、そこで得られる利益を返納金にあてることを提案する。

太政官札をこの渋沢に預けていただきたい。
・・・
それがしは、この駿府藩の預かり金と、ここにおられる商人の皆さまの金をできるだけ多く集め、新しきこと始めたいと思っております。
西洋でいうところの“コンパニー”を始めさせていただきたい。
日本でいうなら、力を合わせて元手を合わせる、“合本がっぽん”の商い所あきないどころ
・・・
一人一人の金が小さくても集めれば大きな金になる。
一人一人の力が小さくて出来ぬことも、みなの力を合わせることでそれが可能になる。
その商売が大きくなれば利益もでっかくなる。
利益で拝借金を返納し、元手を出したものに利が出た分の配当金を支払う。
領内を金がぐるぐると回り出し、国が潤って行く。
そういう仕組みです。

篤太夫|渋沢栄一(吉沢亮)

栄一は、駿府の豪商であった茶問屋の萩原四郎兵衛たちと打ち合わせを重ねた結果、商法会所開設は計画からわずか一ヶ月余りで実現した。

栄一は、東京の三井組事務所を訪ねて三井組番頭・三野村利左衛門に会い、三井がつくった太政官札を正金しょうきんに替えてもらう。
栄一がその正金で、〆粕しめかすやぬかなど、米や茶を作るのに欠かせないものを買い入れる場面で、「東の渋沢、西の五代」と称されることになる、ディーン・フジオカ演じる五代才助ごだいさいすけ(=五代友厚)と出会う。

武士も商人も上も下もない。

武士の皆さんには刀を捨て、算盤勘定を。
商人の皆さんにはこの駿府の一端を担うという矜持を持っていただきたい

まがりなりにもこの世は変わった。
これからは武士も商人も互いに良いところを認め合い力を合わせて共に働くんです。

篤太夫|渋沢栄一(吉沢亮)

栄一29歳のとき、自身が手がけた商工会所は軌道にのり、順調に利益を出すようになっていった。

一方で、明治新政府軍と旧幕府軍の戊辰ぼしん戦争、最後の戦いの地である函館での場面。
土方歳三は1869(明治2)年5月11日(新暦で6月20日)、波乱に満ちた生涯を閉じた。

最後まで忠義を貫いたのであれば本望であろう。
俺は、平岡様の命も守れず、戦でも死に損ない、徳川に捧げられなかった命を持て余して、ここに来た。
皆そうだ。
ただ禄がほしくて流れてきたのではない。徳川のために、なにかできぬかと…。

川村恵十郎(波岡一喜)

第28話 「篤太夫と八百万の神」 

新政府から大蔵省への出仕を求められた篤太夫(吉沢 亮)は辞任を申し出るため、東京の大蔵省に出向く。
しかし、大隈重信(大倉 孝二)の熱弁に完全に言い負かされてしまい、大蔵省の役人になる道を選ぶことになる。

先ほど太政官にて民部・大蔵省租税司のかみという職を仰せつけられましたが、さっそく辞任致したく、こちらに参りました。(篤太夫)

租税司の仕事なんてまったくわからないしお門違いだ

本音を言えば先様から政を奪った薩長の新政府に、どうして幕臣の自分が務めることができるのか

篤太夫|渋沢栄一(吉沢亮)

おいもなーんも知らん。
いっちょんいっちょんなーんも知らん。
しかし誰かがやらんばならんばい。

新政府においては、全てが新規に種のまき直しなのであーる。
皆で骨ば折り、新しか国ばつくろうではないか。おいは渋沢君に今日にでも一柱ひとはしらとして、日本をつくる場に立ってほしいのであーる

大隈重信(大倉 孝二)

新政府に努める道を選んだものの踏ん切りがつかない栄一は、謹慎を解かれ静岡で暮らす慶喜のもとを訪ねる。

東照神君なくして国をつくるなら、八百万とは言わずとも多くが力を合わせるしかない。

行きたいと思っているのであろう。その腕をふるいたいと。
ならば私のことは忘れよ。

これが最後の命だ。渋沢、この先は日本のために尽くせ

徳川慶喜(草彅剛)

慶喜の言葉に背中を押され、決心がつく栄一。

栄一は、士分となった際にかつて平岡に与えられた篤太夫の名を返し、元の名に戻したい旨を伝える。慶喜は「渋沢栄一……そんな名であったかな」と出会いの日を振り返った。

渋沢栄一、大儀であった。息災を祈る

徳川慶喜(草彅剛)

静岡藩に戻った栄一は、杉浦愛蔵に新政府に勤めることを伝える。

徳川をぶっ潰した奴らに、お前たちだけではできなかっただろうと、徳川があってよかったと、徳川なしには日本は守れなかったと、思い知らせてやりてぇんだ

渋沢栄一(吉沢亮)

見せてやれ、幕臣の意地を。どこにいても、僕は渋沢の友だ

杉浦愛蔵(志尊 淳)

1869(明治2)年 11月、栄一は明治新政府に出仕。

第29回 「栄一、改正する」

明治政府に出仕した栄一(吉沢 亮)は、日本に必要なものごとを考え、即実行できるように、各省の垣根を超えた特命チーム “改正掛かいせいがかり” を立ち上げ、新たな国づくりのためにまい進する。

ここにいる全員が天子様に仕える者として、上下の別なく闊達(かったつ)に意見を交わしたいと思っております

渋沢栄一(吉沢亮)

補足

郵便の始まり
政府が飛脚問屋に支払う通信用の金額より、はるかに安く開設できる飛脚便制度を前島密から提案され、政府に建議書を提出されました。
今日の「全国均一料金」による日本の郵便制度を作り上げた前島密は、「日本近代郵便の父」と呼ばれ、1円切手の肖像としても有名な方です。
新しい飛脚制度の名称を「郵便」とし、「切手」という言葉も前島密が考えました。
1871(明治4)年 3月1日(新暦4月20日)、東京・大阪間で新式飛脚制度の郵便が開始。
早速、杉浦譲が弟への手紙を投函、3日後に切手が貼られ判が押された返事が届きました。

月一千五百両を費やせば、東京から京都さらに大阪までの区間に毎日一定の時刻、各一便の政府の飛脚便を仕立てることができる。
また同時に、一般の通信も取り扱うことにすれば、送達料を取ることができるゆえ、その一千五百両はそのままほかの線路を拡張する基金に回すことができる

前島 密(三浦誠己)

うまくいけばじきに、日本中に配達の道を広げられる

前島 密(三浦誠己)

政府は出す金を抑えようとするが、元来、飛脚に払わねばならねぇ費用をそのまま使うんだから文句はねぇはずだ。すばらしい!

渋沢栄一(吉沢亮)

宿場の”郵”に便りの”便”で”郵便”
”郵便”だ

前島 密(三浦誠己)

平九郎は新政府に殺されたんだ。
首を斬られ、さらされ、いまだ亡骸(なきがら)も見つからねぇ。
その政府に手を貸すなど、平九郎にどう顔向けしろと言うんだ!
お前はよくても俺にはそんなことはできねぇ

尾高惇忠(田辺誠一)

俺たちだって、異人を焼き殺そうとしたじゃねぇか。
もう、侍の世はごめんだ。壊すんじゃねぇ。作るんだ。
俺は平九郎に顔向けできなくても、できることをする。
己の手でこの国を救えるならなんだってやる

渋沢栄一(吉沢亮)

この後、惇忠は新政府を手伝う決意をする

第30回 「渋沢栄一の父」

金は政府や大商人の間だけで回るもんじゃなか。
もっと広く民を豊かにせねばならん。
おいはこん商いの町でカンパニーをつくって、日本の商業を魂からつくり変えようち思うちょ

五代友厚(ディーン・フジオカ)

新政府の基盤をつくるため、“廃藩置県”を内密に速やかに進めることになる。
改正掛の皆は、寝る間も休む間もなく働く。

補足

明治時代の行政改革のひとつ「廃藩置県」。
1871(明治4)年 7月14日(旧暦)、全国に約260あった“藩”は廃止、代わって、“府”と“県”が置かれると周知されました。

この廃藩置県によって、平安時代後期以来続いてきた、各地の領主による土地支配のあり方は根本的に変革され、中央政府によって一元化されることとなりました。

当初は藩をそのまま県に置き換えたため、3府302県と細かく別れていました。
その後統合・分割を繰り返し、明治32年(1899年)には3府43県1庁に落ち着きます。
1972年(昭和47年)5月15日に沖縄がアメリカから返還され、1都1道2府43県となる現在の47都道府県になりました。

士族たちは藩を失い、どう禄を得るのです?これを明確に提示せねば暴動となりますぞ。
上に立つものは命を下すとき、まずそれを受ける民のことを考えねばなりませぬ

渋沢栄一(吉沢亮)

古今東西、争いの多くの原因は金だ。
旧大名や士族たちの不安を取り除けば、無駄な争いは避けられる

渋沢栄一(吉沢亮)

父・市郎右衛門が危篤と聞き、すぐに血洗島に帰る栄一。
最後に父と会話し、家族で看取る。

俺は、もう心残りはねぇ。
俺は、この渋沢栄一の父だ。
こんな田舎で生まれ育った己の息子が、天子様の朝臣になると誰が思うもんか。
お前を誇りに思っている

栄一の父・市郎右衛門(小林薫)

第31回 「栄一、最後の変身」

栄一は、大阪で世話をしてくれていた大内くにが、妊娠していることを手紙で知らされる。
渋沢邸に到着したおくにと対面したお千代。
腹の子は俺の子だとお千代に告げる栄一。
心穏やかではないお千代だが、出た言葉は優しい言葉かけだった。

そうでしたか、はあ、そうですか。
お前様のお子が。そうですか。

それなら、おくにさん。
おくにさんもお腹のお子も、ここで共にに暮らせばよいではありませんか。
お前さまのお子です。
ともに育てましょう。

渋沢千代(橋本愛)

栄一は、2年半ぶりに釈放された成一郎と再会。

いいご身分だのう。
俺はおめぇがいなくなった分も命をかけて奉公したんだい。
それを、薩長の政府などに勤め、わざわざ獄に迎えを出すとは、なんの嫌味だい

渋沢喜作(高良健吾)

お前に俺の気持ちが分かってたまるか!
俺は、おめぇとは違う!
たくさんの死を見た。

平九郎のことも…。
いっそ、死ねばよかったんだ。
しかし、日がたてばたつほど未練が…

渋沢喜作(高良健吾)

よかった。死なねぇでよかった。
生きてれば、こうして文句も言い合える!
よかったい!

渋沢栄一(吉沢亮)

成一郎は“喜作”に名を戻し、大蔵省で働くことになる。

栄一たちは、経済の新しい仕組みを作ろうとしていた。
見本としたのは1872年(明治5年)に交付されたアメリカの「National Bank制度」。
「National Bank」のわが国での呼び名を「国立銀行」とし、1873年(明治6年)日本で初めてとなる銀行づくりに乗り出す。
しかし豪商の小野組、三井組に協力を依頼するも難航。
民間の合同によって銀行をつくりたい栄一と、独自に銀行をつくりたい三井が対立する。

あくまで“民”による会社にしたい。
よって早急に小野組、三井組の両者合同で銀行設立の支度にかかってほしい。
商人の力をもっと大きくするために銀行を作る。
政府ではなく、商人が作るんだい。
その仕組みが“合本”です

渋沢栄一(吉沢亮)

しかし、渋沢様もやはりお上のお役人さまでございますな。
あれほど、商人の力、商人の力とおっしゃっていても、
所詮、私たちとは立っている場所が違う。

まあわたしはがくがないゆえ、文字が読めませぬ。
しかしながら、これだけはわかる。
わたしら商人が手を組んで力をつけるどころか、これから先も地面にはいつくばったまま、あなたがたお上の顔色をうかがうのみ。
徳川の世と、なにも変わりませんな

三野村利左衛門(イッセー尾形)

突然渋沢家を訪れた西郷隆盛と酒を酌み交わす。

私も偉くなりたかったわけではありません。
静岡を離れ、政府に入ったのは、新しい日本をつくりたかったからだ。
なのに、高いところから、ものを言うだけの己が、どうも心地が悪い。
おかしろくねぇ

渋沢栄一(吉沢亮)

その夜、千代に大蔵省を辞めて、民間に行く決意を話す。

お千代、俺は大蔵省を辞める。
過ちて改めざる、これを過ちという。
とはいえ、まことになんどもなんどもたがえて済まねえ。
しかし、やはり俺の道は”かん”ではない、一人の”みん”なんだい。
今度こそ最後の、最後の変身だ。

渋沢栄一(吉沢亮)

『青天を衝け』<1話〜12話>はこちら▽

『青天を衝け』<13話〜24話>はこちら▽

『青天を衝け』<32話〜>はこちら▽

主人公・渋沢栄一の名言▽

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