NHK大河ドラマ『青天を衝け』の名セリフ・名言集 <32話〜>

名言集
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大河ドラマ『青天を衝け』

主人公・渋沢栄一の名言▽

『青天を衝け』の名セリフ・名言集 <32話〜>

第32回 「栄一、銀行を作る」

栄一は、井上馨とともに大蔵省を辞職。
明治政府を辞め、実業への道を歩み始める。

最初の目的通り、“官”ではなく“民”に入り実業の一線に立とうと決心した。
おぬしを誘っておきながら、先に辞めるとは、まことに申し訳ない

渋沢栄一(吉沢亮)

僕はここで、日本のために尽くす。呼んでくれて感謝している。
また共に励めてよかった

杉浦譲(志尊 淳)

俺もだ。あの郵便が届いた日の喜びは、忘れねえ。
パリでの日々も。

渋沢栄一(吉沢亮)
補足

日本で最初にできた銀行 | 第一国立銀行(旧第一勧業銀行、現みずほ銀行)

1873年(明治6年) 7月20日 、現在のみずほ銀行兜町支店の位置(現、中央区日本橋兜町 4-3)に開業。
「国立銀行」は国営銀行ではなく民間銀行でした。
国立銀行条例に基づく銀行という意味で「国立」でした。
「国立銀行」が銀行券を発行していたのに対し、「私立銀行」は銀行券を発行できないという違いがありました。
日本最初の私立銀行は、1876年(明治9年) 3月31日に設立された旧三井銀行で、現・三井住友銀行日本橋支店の位置(現、中央区日本橋室町 2-1-1)に開業(同年 7月1日)しました。

参考:日本で最初にできた銀行はどこですか?ー日本銀行

五代友厚は、1869年(明治2年)の退官後、鉱山業・紡績業・製塩業などの発展に尽力していた。
また硬貨の信用を高めるために金銀分析所を設立するほか、大阪株式取引所(現・大阪証券取引所)、大阪商法会議所などを設立していた。

おいも西で同志を集め、鉱山の商いをするカンパニーを起こしもした。
おいは大阪、おはんは東京で商いをすっこつになる

五代友厚(ディーン・フジオカ)

先に官から民にくだった者として、ひとつアドバイスをせんといかん。
政府はやっかいなケモノの集まりじゃったが、商いのほうはまさに化け物、魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこ しておる

五代友厚(ディーン・フジオカ)

一方、三菱を率いる岩崎弥太郎は、大蔵卿に就任した大隈重信と結びつきを強めていた。

栄一の母、ゑいが体調を崩し、東京の栄一のもとで療養することになる。
銀行券を見せ、”きっとみんなが便利になる”と言う栄一に、母・ゑいが忠告する。

それは楽しみだいねぇ。
でもなぁ、栄一。近くにいる者を大事にすんのを忘れちゃあいげねぇよ」

栄一の母・ゑい(和久井映見)

家族が見守るなか、ゑいは母としての言葉を振り絞り、静かに息を引き取る。

栄一、寒くねぇかい…? ご飯は、食べたかい…?

[栄一:何言ってんんだ、俺は大丈夫だ]

そうか、そうかい。よかったいねぇ。
お千代、ありがとう、ありがとうね。

栄一の母・ゑい(和久井映見)

第33回 「論語と算盤」

私はこの銀行を守らねばならないんだ!
ここがつぶれれば日本に銀行をつくるなど絵空事だと思われる。
育てねばならねぇ産業も商業もますます遅れ、今、崖っぷちの日本の経済そのものが崩れちまうんだ

渋沢栄一(吉沢亮)

小野組が第一国立銀行から借りた金のうち、多くは私がやっている支店への貸し出し。
渋沢様はわたくしを信用して無担保で貸してくださった。
そのご恩に報いるためにも、出せるものはすべて差し出します。

頭取、どうやっても小野は助かりません。
どうせなら、一方的に見捨てようとする政府より、信用してくださった、渋沢様やしせいのお客様にお返ししましょう。

小野組番頭・古河市兵衛

政府による小野組や三井組への厳しい担保の要求によって、小野組が破綻。
新銀行は連鎖倒産の危機に陥ったが、小野組番頭である古河市兵衛の誠実な対応に助けられ、被害を最小限に留めた。

しかし、三井がこの機に乗じて第一国立銀行を乗っ取ろうとする。
銀行を守るため、栄一は、三野村との一世一代の大勝負に出る。
銀行のあり方としてどちらの方が正しいか、大蔵省に判断を仰いだ。
それによって日本で初めての本格的な西洋式の銀行検査が行われ、結果、三井組による銀行経営の独占は退けられ、栄一が第一銀行の頭取となる。
栄一は新興の商工業者の創業指導や資金支援を積極的に展開した。

第一国立銀行はあくまで合本銀行だ。
多くの人々の力を合わせ、よどみない大河の流れをつくるのが目的だ。
それを、”株はすべて三井が譲り受ける”だと?
配当金も人員も…混乱に乗じてそんな横暴を言い出すとは、
承服しかねる

渋沢栄一(吉沢亮)

問題は、大口の貸し付けば、三井組のみにしとることや。
一つんとこに偏るんは、合本銀行として実に不健全であっとであーる。
大蔵省は第一国立銀行に三井組への特権のはく奪ば命ず。
さらに、渋沢の総監役ば廃止……頭取に任ずる。

わいが始めたんじゃ。
しっかり立て直せ

大隈重信(大倉孝二

ミスター、シブサワ。
銀行はただ金を預かり、貸し、利益を上げればいいものではない。
この銀行はまだ子供だ。
大事に育てなさい。

紙幣頭付属書記 アラン・シャンド

国の主要な輸出品である蚕卵紙さんらんし を外国商人が買い控えし始めたことで値が崩れ、政府は頭を抱える。
通商条約の手前、政府が表立って動くことができなかったのである。

彼を攻めるには、我をかえりみよ
攻めるときはまず、己の弱みを省みるべし

一蔵さんの目指す日本を作るには、もっと多くの味方が必要じゃ


五代友厚(ディーン・フジオカ)

おいを助けるとじゃなか。国を助けると思うて、味方になってくれんか?

大久保利通/一蔵(石丸幹二)

おかしれぇ やってやりましょう

渋沢栄一(吉沢亮)

栄一は、政府の金で買い上げた蚕卵紙さんらんしを焼き払って売り控えるという奇策を講じて、事態を打開した。

買い控えを逆手にとり、売り控えるのか  尾高惇忠(田辺誠一)


10年越しの、俺たちの横浜焼き討ちだい! 渋沢喜作(高良健吾)

天まで届きそうな炎だ  尾高惇忠(田辺誠一)

見てるか、真田、長七郎、平九郎… 渋沢喜作(高良健吾)


今までの俺の働きは、なんやかんやと公儀や政府に守られていた。
しかし、今や俺が頭取だい。
これからは俺自らが多くのものの命運を引き受け、でっけえ海を渡るんだと考えたら、急にゾッとしたんだい。
それでこの論語だい。
論語には己を治め、人に交わる常日頃の教えが解いてある。
俺はこの論語を胸に、商いの世を戦いてえ。

渋沢栄一(吉沢亮)

ただ、怖いのはね、渋沢様。
あまりにも金中心の世の中になってきたってことですよ。
金を賤む武士の世が終わり、
今や誰もが金を崇拝し始めちまっている。
金だ、金だ、金だ。
こりゃあ、あたしら、開けてはならぬ扉を開けちまったかもしれませんぜ。(三野村)
うーん、さぁて、どんな世になりますかね

三野村利左衛門(イッセー尾形)


三野村 利左衛門は、三井銀行開業の翌年(明治10年)、病で亡くなる。享年57歳。
西南戦争にて西郷隆盛死亡の報が流れる。享年51歳。
大久保利通は不平士族に襲われこの世を去る。享年49歳。
1877年(明治10年)、栄一37歳、新しい世に向けて、目まぐるしく時代は変わってゆく。


第34回 「栄一と伝説の商人」

伊藤博文は、幕末の開国に際し諸外国との間に結ばれていた、不平等条約の改正を申し出ていた。
しかし、英国公使のハリー・パークスより、”国会も商工会議所もない日本で、君たちはどうやって 世論を聞くのか、馬鹿げている”と言われ、伊藤博文たちは返す言葉もなかった。
そこで商法会議所をつくることを考え、渋沢栄一ら実業家に協力を依頼する。

欧米には“Chamber of commerce(チェンバー・オブ・コマース)”という商人の集まりがあり、そこでの意見が民の声とされるそうじゃ。
日本政府も文明国への第一歩として、ぜひ民の声を、“世論”を集めたい。
そんで君らに、民の代表として、商人の会議所を作ってほしい

伊藤博文/山崎育三郎

渋沢家には、栄一を慕い、学ぼうとする若者たちが住み込むようになる。
屋敷を襲おうと狙っているものもいるとの噂を聞いた若者に、お千代は暴漢が来たらどうするか問うと、臆病で情けない言葉が返ってきた。

では巡査の駆けつける間に、残されたものが暴漢に襲われたらどうするのです。
そうなれば、あとで巡査が100人こようが無駄なこと。
今は昔と違って、身分の上下がなくなり、様々な制度もできて、誠にありがたいことです。
しかし、その今を生きる若い者が、争い事をただ高見から人ごとのように見物し、文句だけを声高に叫んで、満足するような人間に育ったのだとしたら、なんと情けないことか。
しかもあろうことか、命をかけ今の世を作ってくださった先人を、時勢遅れと軽蔑するとは

渋沢千代(橋本愛)

栄一は、岩崎弥太郎から豪勢な宴席に招かれ、商業で国を豊かにしようと意気投合するが、根本的な考え方の違いを感じ激論、言い争った末に席を立つ

おまはんはやたら合本合本と言うけんど……
わしが思うに、合本法やと商いは成立せんがではないか。強い人物が上に立ち、その意見で人々を動かしてこそ、正しい商いができる

岩崎弥太郎/中村芝翫

いいえ。無論、合本です。
多くの民から金を集めて大きな流れを作り、得た利でまた多くの民に返し、多くを潤す。
日本でもこの制度を大いに広めねばなりません。

その人物一人が商いのやり方や利益を独りじめするようなことが、あってはならねぇ

己のみ強くなることに、望みはありません。
皆で変わらなければ意味がないんだ。わたしとあなたは、考えが根本から違う。
帰らせていただく

渋沢栄一(吉沢亮)

東京養育院の様子を千代に話すと「連れて行ってほしい」と言われ、夫婦で養育院を訪れる。

痛かったら泣いてもいいんだ。
誰だって、大人だって、子どもだって血が出れば痛いんだから

渋沢千代(橋本愛)

これから毎月、ともにここの子たちの顔を見にこよう。まことの親がわりにはなれなくても、決まって顔を合わせ、親しむようになれば何かは変えられるはずだ

渋沢栄一(吉沢亮)
補足

養育院

1874年(明治7年)、栄一(当時34歳)は貧しい人、身寄りのない老人、孤児・捨て子などの窮民を収容保護する施設である養育院(現:東京都健康長寿医療センター)の運営に携わる。
後に事務長、院長となり、終生この事業に係わり運営に心を砕いた。

栄一たちは、来日するアメリカ前大統領のグラント将軍を、民間代表として接待することになった

一等国では男と女が表と奥で分かれたりはしてねぇ。公の場に夫人を同伴するのは当ったりめぇなんだい 渋沢栄一(吉沢亮)

おめえたちおなごも、国を代表して将軍一家をもてなしてもらいてえんだ 渋沢喜作(高良健吾) 

およしちゃん、がんばんべぇ。おなごの私たちが大事な仕事をいただいたんだい 渋沢千代(橋本愛)

でも、握り飯や、煮ぼうとうを出して、はいどうぞってわけにはいかないだんべ 渋沢よし/成海璃子

第35回 「栄一、もてなす」

俺は民部公子とパリに行ったとき、文明の差を嫌というほど思い知った。
今度は今の日本がいかに西洋に追いついているのか、見せつけなくてはならない。

渋沢栄一(吉沢亮)

築地の大隈邸で政財界の婦人らが集まり、井上馨の妻・武子に西洋式のおもてなしを教わる。
武子は、井上馨の妻で、2年間ヨーロッパを回って帰国したばかり。

西洋では挨拶をするときに歯を見せつけます。(ニコッ)

フフ。ギョッとしてはいけませんよ。
これは相手を馬鹿にしているのではなく、「敵ではない」「あなたに好意を持っている」ということを示す親愛の証しなのです。

そして、次は手を取り合う。シェイクハンズやハグといった挨拶は常なること。
決して避けたり、おびえた様子を見せてはなりません。

井上馨の妻・武子〔当時29歳〕(愛希れいか)

慣れましょう。野蛮国と思われぬためにも。いかにわたしたちがふさわしい振る舞いをするかにかかっております。  大隈重信の妻・大隈綾子(朝倉あき)

そうですね。おなごも変わらなくてはならねえ  渋沢千代(橋本愛)

(この後、恋バナで盛り上がる婦人たち)

来日したグラント一行をもてなすため、夫人同伴での夜会が開かれる。
大隈綾子はお垂髪すべらかし小袿こうちぎで、井上武子と養女の未子はドレスで参加。

上質な絹だい。
どのように縫い合わせたらこのような形になるのやら。 渋沢喜作の妻・よし(成海璃子)

そんなに腰を締め付けて痛くはないのですか?  渋沢千代(橋本愛)

あ〜もう痛いのよ。男なんてズボン履いてヒゲさえ生やせば西洋風になるけど、女はもう本当に苦労だわ。あ、見てよこの靴。  井上馨の妻・武子(愛希れいか)

まあこのような小さな器に足を?   渋沢千代(橋本愛)

西洋の男は日本よりずっとkind(優しい)だけど、それでも女を飾りとしか見ていないことがよくわかるわ。  井上馨の養女・未子(駒井蓮)

でも美しい。本で見た異国のお姫様のようです。  渋沢栄一の娘・歌子(小野莉奈)

グラント一行が渋沢邸に来ることになる。

お千代。どうしよう。
グラント将軍が、我が家に来たいとおっしゃっている。
西洋では大切な客を、個人の家庭に招いてもてなす風習があるんだ

渋沢栄一(吉沢亮)

あれほどのお方を家でお迎えできるとは、こんな光栄なことはございません。
おまえ様、あの飛鳥山の屋敷をなんとしてでも二日で仕上げ、精いっぱいの支度をして、御光臨を仰ぎましょう。
あぁ〜、ぐるぐるいたします!

渋沢千代(橋本愛)

栄一からフランスでの「ポトフ」の話を聞いたお千代(橋本愛)は、栄一の母の味の”煮ぼうとう”を用意。

補足

栄一の飛鳥山邸へのグラント将軍招待

1879年(明治12年)、渋沢栄一が39歳の頃。

栄一の娘・歌子が記した「グラント将軍歓迎の思ひ出」には、「将軍をはじめ一行が、今日ほどくつろいで機嫌よく談笑せられたことは始めて見る」「予期以上の成功」と接待委員より丁寧にお礼を言われたことなどが載っているようです。

お相撲は実際には取っていなくて、余興の後に力持ちと柔術家の試合があったようです。
(グラント将軍招待の史実について、詳しくは「気ままに江戸♪ 散歩・味・読書の記録」を参考してください。詳しくて面白いです♫)

日本は今、欧米に肩を並べようとしている。
しかし、多くの欧米人、特に商人は日本が対等になることを望んでいない。
日本が独立を守り、成長するのは大変なことだ。
しかし、私は願っています。それが成功することを。

グラント将軍

お千代、おめぇはすげぇ。
今までも何度も、お千代をめとって、俺は敵なしとは思っていたが、今回はまことにたまげた。
お千代は世界に冠たるおなごだ。極上だ。かけがえのねぇ奥様だで。

どうしても、言いたくて言いたくて仕方ねぇ。
ほれ直した。ありがとう。お千代

渋沢栄一(吉沢亮)

第36回 「栄一と千代」

栄一は、三菱のひとり勝ちを合本で打ち破るため東京風帆船とうきょうふうはんせん会社を設立。しかし開業もしないうちに暗礁に乗り上げた。
養育院も東京府から事業縮小を迫られていた。

名誉や金より大切なのは目的じゃ。
おいは皆が協力して豊かな日本を作ることこそ正義だと信じちょる。
おはんはおいに比べてずっと欲深か男じゃ。

うんにゃ。二人はどこか似ちょ。
岩崎君もおはんも己こそが日本を変えてやるという欲に満ちておる。

五代友厚(ディーン・フジオカ)

栄一の長女・うた(歌子)と穂積陳重ほづみのぶしげの縁談が持ち上がり、二人は結婚。
渋沢家が幸せな空気に包まれる中、千代が突然の病に倒れてしまう。

俺は理想だけでは太刀打ちできぬことを岩崎さんに突きつけられた。
皆を救いたいと思っても現実にはできねえ。
切り捨てねばならねえこともある。

五代さんには俺もよく深いと言われちまった。
まあ認めるところもある。

今の俺は、己の目指す合本の社会を作るためならどんなことでもしてやりてえと思ってる。
若いころは、己が正しいと思う道を突き進んできたが、今の俺は正しいと思うことをしたいがために、正しいかどうかもわからねぇほうに向かう、きたねえ大人になっちまった。
若い二人が羨ましい

渋沢栄一(吉沢亮)

お前さまは、昔から欲深いお方でしたよ。
正しいと思えば、故郷も妻も子も投げ打ってどこへでも行ってしまう。
働いて得たお金を攘夷のために使ってしまったこともある。
思う道に近づけると思えば、敵だと思っていたお家にでも平気で仕官する。

でも私は、お前様のここが、誰よりも純粋で温かいことも知っております。覚えていますか?幼いころに見た夢のこと

いろんなものを背負うようになってからも、心の根っこはあのころとちっとも変わってねぇ。
お父さまやお母さまも『よくやった』と褒めてくださいますよ

渋沢千代(橋本愛)

渋沢千代(尾高千代)
幕末の1841年、父・尾高勝五郎氏の三女として生まれる。
18歳の頃、渋沢栄一(19歳)と結婚。
1882年(明治15年)7月14日、コレラにより病没。享年42。
(当時のコレラの死亡率は70%と言われている。感染症であるため、我が子ですら息を引き取る母を看取ることができなかった)

『青天を衝け』<1話〜12話>はこちら▽

『青天を衝け』<13話〜24話>はこちら▽

『青天を衝け』<25話〜31話>はこちら▽

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