プロフィール
松下 幸之助(まつした こうのすけ)
パナソニック(旧社名:松下電気器具製作所、松下電器製作所、松下電器産業)を一代で築き上げた経営者。異名は「経営の神様」。
1894年(明治27年)11月27日 – 1989年(平成元年)4月27日(享年94)
和歌山県和佐村にて、8人兄弟の3男末子として生まれる。
家が樹令数百年は経つという松の大樹の下にあったところから、松下の姓がつけられたという。
村では小地主の階級にあり、かなりの資産家だったが、幸之助が満4歳の時、父の事業が失敗し困窮生活を強いられる。
幸之助は小学校を中退、満9歳にして親元を離れ、単身大阪に出て丁稚奉公に勤める。
奉公して過ごしてゆく中、卓抜な商才と要領のよさを目覚めさせて行った。
普通の努力では、チャンスをチャンスと見極められない。熱心の上に熱心であることが見極める眼を開く
アイデアを生むと言っても、口先だけでは生まれない。これもやはり熱心であること。寝てもさめても一事に没頭するほどの熱心さから、思いもかけぬ、よき知恵が授かる
逆境もよし、順境もよし。要はその与えられた境遇を素直に生き抜くことである
迷う、ということは、一種の欲望からきているように思う。ああもなりたい、こうもなりたい、こういうふうに出世したい、という欲望から迷いがでてくる。それを捨て去れば問題はなくなる
窮状に陥っても悲観しないことです。自分は(戦争で)財産が一瞬にして無くなったことがありました。しかも莫大な個人負債ができたんです。普通は首でも吊ってしまわなければならないほどの困難な状態ですわ。しかしこれでも死んでいる人よりましや、弾に当たって死んだ人もたくさんあることを思えばぼくは恵まれてる、こんなに恵まれている自分は幸せや、ありがたいことや、そう思ったら悲観することはない。それで歓喜をもってこの困難に取り組んでいこうと考えてやってきたと思うんですよ
失敗の多くは、成功するまでに諦めてしまうところに、原因があるように思われる。最後の最後まで諦めてはいけないのである
失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたい
人は何度やりそこなっても、「もういっぺん」の勇気を失わなければ、かならずものになる
一方はこれで十分だと考えるが、もう一方はまだ足りないかもしれないと考える。そうしたいわば紙一枚の差が、大きな成果の違いを生む
一方はこれで十分だと考えるが、もう一方はまだ足りないかもしれないと考える。そうしたいわば紙一枚の差が、大きな成果の違いを生む
深刻な顔をする前に、ちょっと視野を変えてみるがよい。それで悪ければ、また見方を変えればよい。そのうちに、本当に正しい道がわかってくる。模索のほんとうの意味はここにある。そしてこれが出来る人には、ゆきづまりはない。
松下電器は人を作るところでございます。合わせて電気製品を作っております
わたしは小さい頃貧しかったので、最初は腹一杯食べたい夢でした。丁稚奉公にいってからは、貯金して早く店を持ちたいと思いました。商売をはじめても、大きな会社など望みませんでした。一段上の夢を着実にこなしていっただけです
わたしには3つの財産がある。それは学校へ行かなかったこと。健康に優れなかったこと。そして、決断に弱かったことだ。だから、人が教えてくれたり、助けてくれたりして成功した
青春とは心の若さである 信念と希望にあふれ勇気にみちて日に新たな活動を続けるかぎり 青春は永遠にその人のものである
悪い時が過ぎれば、よい時は必ず来る。
おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。
あせらずあわてず、静かに時の来るを待つ。
時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。だが何もせずに待つ事は僥倖を待つに等しい。静かに春を待つ桜は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。
たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しないであろう
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