プロフィール
渡辺 和子(わたなべ かずこ)
1927年2月11日−2016年12月30日 享年89。
北海道旭川市生まれ。18歳でキリスト教カトリックの洗礼を受ける (修道女名:シスター・セント・ジョン)。
学校法人ノートルダム清心学園理事長。
主な著書に「置かれた場所で咲きなさい」「愛と祈りで子どもは育つ」「目に見えないけれど大切なもの」他多数ある。
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祈りは神を変えません。私を変えるのです。私たちが祈りさえすれば神はきいてくださると思うのは、必ずしも正しくありません。
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私は『欲しいもの』を願うけれど神は『要るもの』をくださるのです
人間はとかく、追いつめられると、目先の善に走りがちです。だから私たちは常日頃、心にゆとりを持ち、物事に優先順位をつけながら生きてゆく判断と意志の訓練をすることが大切なのです
折あることに子どもたちをしっかり抱きしめて、基本的信頼を持たせるようにしましょう。そうすれば、大きくなって厳しい現実に直面し、人間の弱さに否が応でも触れざるを得なくなった時も、絶望することなく、98パーセントの信頼と、2パーセントの許しの余地を持って、たくましく、優しく生きてゆくことができるでしょうから
信じるということは大切なこと、美しいことですけれども、悲しいことに人間の世界に“完全な”信頼はあり得ません。信じることを教えるのも教育なら、人を疑うことの必要性、単純に物事を信じてしまってはいけないことを教えるのも教育の1つの役割なのです。それは、神でない人間は、他人も自分も皆、弱さを持ち、間違うことがあるのだという事実に目を開かせ、許しの大切さを教えることでもあります
「今」という瞬間を意識して生きたいと思う。「今の心」と書くと「念」という字になると気づいた時、「念ずれば花開く」という言葉の意味がわかるように思ったものです
どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花がより大きく、美しいものとなるために
一生の終わりに残るものは、自分が集めたものではなく、自分が与えたもの
面倒だと思ったら、脱いだ履物を揃えましょう。自分が使った椅子を、元通りに直して立ちましょう。ゴミが落ちていたらば拾いましょう。
面倒なことをしないでおくこともできますけれど、する自由も私たちにはある訳です。自分の怠け心と戦って、自分の意志を強くしていく為に、とても大切なことだと思います。
<CD>講話集「いのちを見つめて」より
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