花や草木にまつわることわざ・故事成語|たとえ言葉

ことば辞典

親しみのある、イメージしやすい花や草木のことばが入ったことわざ・故事成語を集めました。

立てば芍薬しゃくやく、座れば牡丹ぼたん、歩く姿は百合ゆりの花

女性の美しい所作や容姿を、花にたとえて表現する言葉。
由来は言葉に登場する3つの花の特徴からきていると言われています。

  1. 芍薬
    ボタン科の多年草。細くすらりと伸びた茎の先端に美しい花を咲かせます。まさにすらっとした美しい女性の「立ち姿」を表しています。芍薬は香りも美しく、ホワイトローズのような、上品で優雅な香りがします。フランスでは白ワインの香り​をあらわす際に「シャクヤクのような香り」という表現を用いることがあるようです。
  2. 牡丹
    ボタン科の落葉小低木。枝分かれをした横向きの枝先に豪華な花をつけるため、美人の「座った姿」を表しています。
  3. 百合
    そよ風に優雅に揺れる姿が美しいことから、美人の歩く姿に例えられています。

もう一つの由来として、鑑賞する際に、芍薬は立って見る、牡丹は座って見る、百合は歩きながら見る、というのが一番美しく感じるからという説もあります。

ちなみにそれぞれの開花の時期は、5月が牡丹、6月は芍薬、7月は百合となります。

いずれ菖蒲あやめ杜若かきつばた

どちらも同じようで、区別がつけ難いこと。
また、優劣がつけ難く、一つを選ぶのに迷うこと。
菖蒲も杜若も同じアヤメ科に属するよく似た美しい花で、区別がつきにくいところからいうことば。

これは昔、源頼政が妖怪のぬえ(鵺)退治の褒美として、菖蒲前という美女を賜(たまわ)ろうとしたとき、帝に同じ年恰好をした数人の中から菖蒲前を当てろと命じられ詠んだ和歌からきています。

五月雨(さみだれ)に沢辺(さはべ)の真薦(まこも)水越えていづれ菖蒲(あやめ)と引きぞ煩(わづら)ふ

太平記 巻21

この「いづれあやめ」が、区別がつき難く一つを選ぶのが難しいという意味合いのことばとなりました。

桃栗三年柿八年

芽が出て実がなるまでに、桃と栗は三年、柿は八年かかるということ。
また、何事も成し遂げるまでには相応の年月が必要だというたとえ。

この言葉に続くフレーズが、地方によって果物によって色々代えられ、語り継がれているようです。

桃栗三年柿八年、梅は酸い酸い十三年、柚子は大馬鹿十八年、林檎にこにこ二十五年

桃栗三年柿八年、梅は酸い酸い十三年、梨はゆるゆる十五年、柚子の大馬鹿十八年、蜜柑のまぬけは二十年

桃栗三年柿八年、枇杷は九年でなり兼ねる、梅は酸い酸い十三年

松葉軒東井編の『譬喩尽(たとへづくし)』(1786年序)

桃栗三年、柿八年、ゆずは九年でなりさがる、梨のバカめが十八年

映画「時をかける少女」
梅にうぐいす

同じ季節内で似合うもの、調和して絵になるものの組み合わせ。
梅の別名は春告草はるつげぐさ、鶯の別名は春告鳥はるつげどり、どちらも春の訪れを表す組み合わせです。

似たような例えとして他にも

  • 松に鶴・・・松も鶴も縁起のいいものとされる取り合わせ。
  • 柳につばめ・・・柳は春の季語。燕は春を告げる鳥。組み合わせの季節としては春から初夏あたり。

青はあいよりいでて藍より青し

人は学問や努力によって、もともと持って生まれた本性をも越えることが出来ること。
または弟子が、師の学識や技量を越えること。

君子曰、學不可以已。青取之於藍、而青於藍、冰水爲之、而寒於水

君子曰く、学はもって已むべからず。青はこれを藍より取りて、藍よりも青く、氷は水これをなして、水よりも寒し、と

出典:『荀子』勧学

現代語訳・・・君子が言われた。学問は永久に継続して修めなければならないものだ。青い色は藍という草から取ってできたものだが、それはそのもとである藍よりもさらに青い。氷は水からできるが、水よりもさらに冷たい。

青葉あおばは目の薬

青葉のみずみずしい緑色を見ると目の疲れが癒されるということ。

木を見てもりを見ず

物ごとの一部や細部に気を取られて、全体を見失うこと。

あさの中のよもぎ

蓬のように曲がりやすいものでも、まっすぐな性質の麻の中に入って育てば曲がらずに伸びる。
人は善良な人と交われば自然に感化されて、だれでも善人になるというたとえ。
良い環境によって善が生ずることのたとえ。

明日ありと思う心の仇桜あだざくら

明日があると思っていると、桜の花がはかなく散るように、機会を失うことになる。
明日はどうなるかわからないという、世の中や人生の無常を説いたことば。
仇桜あだざくら」とは散りやすい桜の花のこと、はかないもののたとえ。

泥中でいちゅうはす

汚れた環境の中にいても、それに染まらず清く正しく生きるさまのたとえ。

かぬ種は生えぬ

原因がないのに結果が生じることはないというたとえ。
また、準備や努力を何もせずによい結果が得られるわけがないというたとえ。

みのるほど頭をれる稲穂いなほかな

稲が成長すると実を付け、その重みで実の部分が垂れ下がってくることから、立派に成長した人間、つまり人格者ほど謙虚であるというたとえ。

やなぎに風

柳が風になびくように、逆らわない物は災いを受けないということ。
また、相手が強い調子であっても、さらりとかわして巧みにやり過ごすことのたとえ。

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